
蚯蚓段段孰是真(きゅういんだんだんいずれかこれしん)
暖かくなってきましたね。
花粉が飛び始め、雑草が生えて、春の気配です。
お寺用語で「園頭」(えんず)というのは、畑仕事のことを指します。
夏野菜をそろそろ育てるにあたり、堆肥を掘り起こしてみると。

ミミズ(蚯蚓)がうじゃうじゃ。
百。いやいや千匹はいるかという位、堆肥に住んでいました。
ありがたい。
ミミズのおかげで、雑草や落ち葉や野菜の端切れが、野菜の生長を育む良い堆肥に生まれ変わります。
ミミズの身体を介す前の堆肥は、栄養が強すぎて逆に野菜の生長を阻害しますので、本当にミミズ様々です。
そんなミミズ様々を見ていると。
ふと思い出したのが、表題の「蚯蚓段段孰是真」という禅問答です。
どういう意味かといいますと。
「ミミズが二つに切られてしまった。さて、どちらが本当のミミズだ?」という問いです。
百丈禅師が言ったとされるこの問答。
百丈禅師が弟子と一緒に園頭(畑仕事)をしていると。
たまたま振り下ろした鍬に当たって、可哀想なミミズがまっぷたつ。
すかさず師匠が「一匹のミミズが右と左に真っ二つだ。では、ミミズの命はどっちに行った?」
・・・・。
堆肥を食べてくれているミミズを眺めながら、ふと思い出した禅問答でした。