正光寺の桜です。
いつのまにか、綺麗な花を咲かせていました。
今年は例年と比べると少し遅いようですね。
温度なのか、水分なのか、日差しなのか。
桜のみぞ知ることでしょうが、何かが足りなかったんですね。
なにはともあれ、春の到来です。
「桜」といえば、神が降り立つ木とされています。
昔は「さ」が神を表していたそうで、「さおり」は神様が里に降りてくることだったそうな。
「くら」は座る場所。
「さ」・「くら」=「桜(さくら)」は〝神が座る場所〟。
面白いですね。
しかし、神が降り立つ木は桜だけではなく「松」もそうだと言われています。
松に降り立つ神は祖霊神で、祖霊神は農業神にも変身します。そして、この神が大晦日にやってくる場合を歳徳神というそうで。
門松はこの歳徳神を迎えるために玄関前に飾るようです。
神を「待つ(まつ)」から「松(まつ)」で、神を待つための儀式が「祭り(まつり)」。
それにしても、「桜」は花の美しさだけでなくその散りゆく姿も含めて愛されています。つまりは移ろいゆく「諸行無常さ」を美徳と感じ。
「松」は〝常葉の松〟といい、その「変わらなさ」が愛されています。移ろいゆく無常の中の「永遠さ」を美徳と感じているわけで。
その両方に「神が降り立つ」と。
「無常」と「変わらなさ(常)」両方を美徳として大切にしている日本人って、やっぱ良いな~。