満つれば欠け 欠くれば満つ

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私がまだ南禅寺で修行していたころ、年に二度しばしのお暇(暫暇:ざんか)を頂いて正光寺に戻ってくると、待ちかねていたかのように近くの和尚さんがやってきました。今は亡きK寺さんといつも元気なD寺さんです。お二人とも長く修行をされた私の敬愛 するまさに「禅坊主」なのですが、父と母はいつもこの二人を招いては酒肴でもてなしていました。酒が進むにつれていつも通りに禅談議が盛り上がっていきます。小僧時代 の話や終戦後の食糧難下の道場での工夫話、禅問答と先輩雲水に絞られた苦労話をそれ はそれはおもしろおかしく興味深く語ってくれたものです。そしていつも最後には「満 つれば欠け、欠くれば満つぢゃ」と呵々大笑しておられました。 雲水姿がまだ身にもついていない私は修行の疲れや迷いを持ち帰っていたのでしょ うが、こうしたダボラ話に修行の面白さ禅の奥深さを予感しながら「語りつくす山雲海 月の情」にどっぷりと浸かって心身の湯治となっていたような気がします。 私たちは順風満帆の時もあるし、そうでない時もあります。思い通りにならぬのが世 の常です。無常の世を「満つれば欠け、欠ければ満つぢゃわい」と笑い飛ばせる境涯は 禅体験に裏打ちされていますので、誰をも元気にしてしまいます。同じように「一得一 失ぢゃからのう」とも…。父もK寺さんも今は鬼籍に入ってしまいましたが、あの夜語 りは今でも私の肥やしとなっていますし、宝であると誇れるものです。秋の夜長、久し ぶりに酌み交わしたいと願いもしますが、「名月や 月はなくとも 月見酒」とやはり豪 快に呵々大笑されるのでしょうね、きっと。

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