春爛漫

新型コロナウイルスがなかなか収束しないため、外出もなかなかままならないため、家に花を飾る方が増えているそうですね。

春を迎えて、境内にもあちこちに花が咲き始めています。

つれづれ作務日記

つれづれなるままに作務(お掃除)の日記です。

本日は、少し前から気になっていた境内東側の溝掃除等々。

少し見ぬ間に、すごいことになっています・・・。

水の流れが緩やかであったり、砂利や石が水を堰き止めることで、草が成長するのでしょうか。

雑草の力、おそるべし。

そこで一気呵成に清掃しました。

ふ~、すっきり。

流れが淀むとろくなことになりませんね。

掃除をすると心も洗われます。

子地蔵さま

お彼岸お中日の「地蔵尊大祭」は新型コロナウイルス感染予防として休止させていただきました。

例年、大祭後にお持ち帰りいただく「子地蔵さま」は、お彼岸期間中、御本尊様の正面前机にお祭りしております。

ご希望される方はどうぞお参りください。(数に限りがあります。)

洗心

昨日、正光寺表参道の草刈りを行ないました。

参道がより一層引き立ちます。

丸塚 十輪寺さんにて

本日は、丸塚町の十輪寺さん(写真は秋頃)にて、静岡県仏教会の事務作業がありました。

事務作業を行なう前に、蔵書の数々を拝見させていただきましたが、その中で読んだ方が良いということで、貸していただいた本がこちら。

著者は、元々考古学を専門とされた方で、その中でも古墳関係を中心に扱って来られた方だそうです。

日本における「埋葬の歴史と先祖観」から始まる話。

僧侶として読んでおいた方が良いということで貸していただきました。

読み終えたら感想をこちらに書かせていただきます。

(積読されている本が何冊かあるので時間がかかると思いますが(^_^;))

綺麗な風景etc.

最近、「おぉっ!」

「綺麗!」

「すごい!」

と思った風景です。

昨日の大雨の中、一瞬雨が上がった雲の切れ間に。

虹がふたつ!!

雨あがりの今日、綺麗な花が境内に咲いていました。

最後に感動して思わずパシャリ。

蚯蚓段段孰是真

蚯蚓段段孰是真(きゅういんだんだんいずれかこれしん)

暖かくなってきましたね。

花粉が飛び始め、雑草が生えて、春の気配です。

お寺用語で「園頭」(えんず)というのは、畑仕事のことを指します。

夏野菜をそろそろ育てるにあたり、堆肥を掘り起こしてみると。

ミミズ(蚯蚓)がうじゃうじゃ。

百。いやいや千匹はいるかという位、堆肥に住んでいました。

ありがたい。

ミミズのおかげで、雑草や落ち葉や野菜の端切れが、野菜の生長を育む良い堆肥に生まれ変わります。

ミミズの身体を介す前の堆肥は、栄養が強すぎて逆に野菜の生長を阻害しますので、本当にミミズ様々です。

そんなミミズ様々を見ていると。

ふと思い出したのが、表題の「蚯蚓段段孰是真」という禅問答です。

どういう意味かといいますと。

「ミミズが二つに切られてしまった。さて、どちらが本当のミミズだ?」という問いです。

百丈禅師が言ったとされるこの問答。

百丈禅師が弟子と一緒に園頭(畑仕事)をしていると。

たまたま振り下ろした鍬に当たって、可哀想なミミズがまっぷたつ。

すかさず師匠が「一匹のミミズが右と左に真っ二つだ。では、ミミズの命はどっちに行った?」

・・・・。

堆肥を食べてくれているミミズを眺めながら、ふと思い出した禅問答でした。

雑草生け花

子供がままごとしているので見てみたら、

「おぉ、綺麗。」とちょっとビックリ。

雑草もこんなに可愛らしくなるんですね。

作務(お掃除)する時には、こんな風に感動すること無かったのに。

見方によって、見せ方によっては印象がガラッと変わるんですね。

う~む、ちょっと考えさせられました。

ナム(2歳)のお散歩

このホームページに登場するのは初めてかもしれません。

令和元年に、新しく正光寺の一員となりました。

日本固有種の石亀のナム君2歳です。

水の中にばかりいると甲羅にカビが生えてしまうそうで、定期的に日差しを浴びて甲羅を乾かさなければなりません。

2歳のナムにとっては、お寺の裏の畑といえど大冒険に違いありません。

カラスやネコなどナムにとっては天敵だらけ・・・。

それでも嬉しいのか、見失ってしまう位のスピードではしゃいでました(゜Д゜)

愚直に生きる

令和二年三月の伝道板です。

『 愚直に生きる 』

お釈迦さまの弟子の中に、周利槃特(しゅりはんどく)という、もの覚えのすこぶる苦手な人物がいました。

彼は自分の名前すら忘れてしまうため、修行仲間たちは「槃特」と書いた旗を作って、彼の背中に背負わせてやりました。

しかし、旗を背負ったことさえも忘れてしまい、とうとう名前を覚えることはなかったそうです。

そんな彼は自分でも「こんなに愚かではお釈迦さまの弟子にはなれない。」と落ち込んでいました。

するとお釈迦さまは「周利槃特よ、自分の愚かさを知らぬ者こそが本当の愚者なのだよ。」と諭して一本のホウキを与えました。

そして「チリを払わん、垢を除かん」と唱えなさいと教えました。

後にお釈迦さまは大衆を前に「悟りを開くのに多くのことを覚える必要はない。どんな小さなことでも愚直に一筋であればよいのだ。周利槃特はホウキ一本に徹して、ついに悟りを開いたではないか。」と仰いました。

周利槃特の死後、そのお墓の上に名もない草が生えました。

そこで「名」を「荷う(になう)」ことから、この草を茗荷(みょうが)と名付けたのだそうです。

京都の相国寺が運営する般若林という禅の寄宿舎で私は学生時代を過ごしていたのですが、金閣寺を再建された村上慈海長老がよく本山である相国寺に出入りしておられました。

慈海和尚は禅とは何かと問われた時に「わしは禅のことはよく分からんが、掃除の仕方ならよ〜く知っておるぞ。それでよければ教えてあげよう。」と答えたそうです。

禅僧らしい深い境涯であり、今でも時折その慈顔が想い浮かんできます。