平均寿命、100年時代??

玄侑師著の「養生事始」を最近読了しました。

この本は江戸前期の儒学者である貝原益軒先生の「養生訓」を取り上げたモノ。

「養生訓」とは・・・。

身体と心の養生を取り結び、人間の養生について書いたもの。

いわゆる医学専門の本ではなく、一般向けの生活心得書として、著者の貝原益軒先生が84歳の時に発行されている。

この本に書かれた教えは著者自身が実践していたもの。

 

手紙の末尾に、「ご自愛ください」や「お大切に」といった文言をよく書きます。

改めて、自分自身を振り返り、そういえばどうやって、身体を自愛(養生)しているだろうか?

老若男女総じて、『健康』に関心を持っています。

他にも美容やお金などさまざまなことに関心を皆さんお持ちです。

10代の若者は健康そのものでしょうから、この世代はそれほど健康に関心は持っていないかもしれません。

しかし、総数を出すと、『健康』が一番の関心事だろうなぁと思うのは私だけではないと思います。

 

現代の手段としては。

①適度な運動(マラソンやウォーキング)

②睡眠

③食事(サプリメント等で栄養補充)

等が人気です。

 

かくいう私も、作務等で身体を動かす業務は多いものの、趣味がマラソンだったので、今でもたま~に思い出したように走ったりしています。

(5年前のフルマラソン以来、レースには出ていません。)

自愛、健康、養生、といった言葉から連想するのは上記①~③の手段しか思いつかなかったので、江戸時代にはどういった風に考えていらっしゃったのだろうと興味を持ち、本を読ませていただきました。

 

興味深かった現代との大きな違いは。

①目に見えない『氣』というものに対する理解。

②『氣』は増補することもできるが、できるだけ『減らさないようにすること』を主眼にしている。

(例:目・鼻・口からはとくに氣が出入りする。開いていると氣が漏れやすい。必要が無い時はできるだけ、目・口を閉じていなさい等)

③風雨や雷などの天変地異も、人間を動かすのと同じ『氣』によって起こると信じている。『すべてが繋がっている』という感覚。

(例:夜、大雨や雷が鳴ったら、すぐさま起きて衣服をあらためて正座して、慎んで心と向き合う等)

 

全体を貫いているのは『氣』をいかに養生するかという方法でした。

今と昔の大きな違いが、この『氣』を考えるか考えないかの違いです。

坐禅会で、「ヘソの下の丹田は力の源です。そこが氣が湧き出てくる場所です。」とお話をしても納得されているのは半数いるかいないか。

長く(何度も)坐らないと気づくのも難しいので仕方ありません。

(私の場合は、修行道場でなんの説明も無く坐り続けて、半年を経てようやく臍下丹田に気づきました)

 

 

『人生100年時代』といわれています。

『氣』を意識しないでも長生きできる時代になりました。

(昔の平均寿命の短さの最も大きな要因は、戦【いくさ】による殺生と命をいつ奪われるかわからない過大なストレス等による病気等心身の不調が主な原因ではないかと思っているのはさておき。)

 

食料や氣を補填して、消費した氣を上回る供給により、命を延ばしてきたのかもしれません。

昔は氣の消費を浪費しないことが、なによりも大切でした。

それは、「ほどほどに」「ぼちぼち」といった感覚であり、そこには『謙虚さ』があったのでしょう。

 

現代は、昔と較べて『謙虚さ』が少なくなったのは確かだなぁと本を読んで実感しました。

 

日本人の平均寿命が85歳前後から100歳前後になるという。

今の小学生の2人に1人は100歳まで生きる。

 

そんな時代、大切なのは長く生きることよりも、どう生きるか、だと思いますが如何でしょう?

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