命名

「すいれん」という花をご存知でしょうか。

漢字で書くと「睡蓮」で、「水蓮」は当て字らしいですね。

というのも睡蓮の花は朝開いて午後に睡るから。

やはり「水蓮」ではなく「睡蓮」が、「すいれん」という花の本質を言い当てている気がします。

「睡蓮」と名付けた方は、少なくとも一昼夜「すいれん」を観察し続けたのでしょう。

名付け親の「すいれん」という花への愛情と云いましょうか、命名する上での責任感のようなものを感じました。

 

志賀内泰弘さんの著書「教育革命~塾が作った学校の挑戦」の中に、ボールに名前を付けた話があります。

小学5年生のクラスにはドッジボールが2個あった。子供達は休み時間にいつもそのボールで遊んでいた。

休み時間終了のチャイムが鳴ると、子供達は一斉に教室に戻る。その際、「誰かが片付けてくれるだろう」という依存心からか、ボールは片付けられずに校庭に転がっていることが多かった。

ホームルームでこの問題を取り上げた。議題は「どうしたらちゃんと片付けができるか」

最終的に「校庭に持ち出した人が持ち帰る」というルールになり、違反者には罰則を設けることになったが、守られたのは最初だけで、いつのまにかまた元に戻ってしまった。

数日後のホームルーム。再びこの問題。

「ボールに名前を付けたら良いと思います」という意見が出た。議題と関係無い意見だったため、一瞬場がしらけた。別の生徒が大きな声で「賛成」と言って拍手した。そしたら、皆つられて拍手した。何となく「名前を付ける」に決まってしまった。男子用のボールには「ぴょん太」、女子用は「ぴょん子」と名付けられ、マジックペンでボールにその名前が書かれた。

それから予期せぬことが起きた。休み時間が終わると、誰かが必ずボールを教室に持ち帰るようになったのだ。それだけではない。汚れていると誰かが拭いて綺麗にした。ボールに話しかける子も現れた。誰かがボールを入れる袋を作って持ってきた。もうボールはすっかりクラスの一員になっていた。・・・というお話。

名前を付けるということは、物ももはや物ではなくなる。命を吹き込む行為なんですね。だからこそ「命名」。

 

そういえば、私が小学生の頃、自分の名前の由来を皆の前で発表する授業がありました。いろんな子の命名秘話が聞けて面白かった記憶があります。友達にもそれぞれのドラマがあることを知ることは、他人を思いやる気持ちを育てます。面白いだけでは終わらない、良い授業でした。

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