曹源一滴水

曹源一滴水(そうげんのいってきすい)

10月の禅語としてご紹介しました。

「曹」とは禅宗の第六祖である慧能が住んでいた曹渓という谷のことであり、曹渓は慧能自身をも指します。

六祖の大成した禅はその後五家七宗として栄え、日本でも二十四流の禅が伝わって栄えました。

慧能という曹渓の谷を源として発した一滴の水が天下を潤したことを云います。

 

この曹源一滴水でよく知られた話があります。

京都天龍寺の修行道場を開かれた滴水宜牧という禅僧がおられますが、若い時に岡山の曹源寺で修行をしておられました。

あるとき使い残した手桶の水を流しに捨てていたのです。

それを見ていた師匠は、「お前はなんという殺生をするのか。すべてのものには命がある。一滴の水といえどもそうだ。木の根に与えれば水は生きる。生かして使わなければいかん。陰徳を積むことを忘れてはならん。」といってひどく叱られました。

それ以後、一滴の水も粗末にしてはいけないと自覚し、自ら「滴水」と名乗られるようになったといいます。

平均寿命、100年時代??

玄侑師著の「養生事始」を最近読了しました。

この本は江戸前期の儒学者である貝原益軒先生の「養生訓」を取り上げたモノ。

「養生訓」とは・・・。

身体と心の養生を取り結び、人間の養生について書いたもの。

いわゆる医学専門の本ではなく、一般向けの生活心得書として、著者の貝原益軒先生が84歳の時に発行されている。

この本に書かれた教えは著者自身が実践していたもの。

 

手紙の末尾に、「ご自愛ください」や「お大切に」といった文言をよく書きます。

改めて、自分自身を振り返り、そういえばどうやって、身体を自愛(養生)しているだろうか?

老若男女総じて、『健康』に関心を持っています。

他にも美容やお金などさまざまなことに関心を皆さんお持ちです。

10代の若者は健康そのものでしょうから、この世代はそれほど健康に関心は持っていないかもしれません。

しかし、総数を出すと、『健康』が一番の関心事だろうなぁと思うのは私だけではないと思います。

 

現代の手段としては。

①適度な運動(マラソンやウォーキング)

②睡眠

③食事(サプリメント等で栄養補充)

等が人気です。

 

かくいう私も、作務等で身体を動かす業務は多いものの、趣味がマラソンだったので、今でもたま~に思い出したように走ったりしています。

(5年前のフルマラソン以来、レースには出ていません。)

自愛、健康、養生、といった言葉から連想するのは上記①~③の手段しか思いつかなかったので、江戸時代にはどういった風に考えていらっしゃったのだろうと興味を持ち、本を読ませていただきました。

 

興味深かった現代との大きな違いは。

①目に見えない『氣』というものに対する理解。

②『氣』は増補することもできるが、できるだけ『減らさないようにすること』を主眼にしている。

(例:目・鼻・口からはとくに氣が出入りする。開いていると氣が漏れやすい。必要が無い時はできるだけ、目・口を閉じていなさい等)

③風雨や雷などの天変地異も、人間を動かすのと同じ『氣』によって起こると信じている。『すべてが繋がっている』という感覚。

(例:夜、大雨や雷が鳴ったら、すぐさま起きて衣服をあらためて正座して、慎んで心と向き合う等)

 

全体を貫いているのは『氣』をいかに養生するかという方法でした。

今と昔の大きな違いが、この『氣』を考えるか考えないかの違いです。

坐禅会で、「ヘソの下の丹田は力の源です。そこが氣が湧き出てくる場所です。」とお話をしても納得されているのは半数いるかいないか。

長く(何度も)坐らないと気づくのも難しいので仕方ありません。

(私の場合は、修行道場でなんの説明も無く坐り続けて、半年を経てようやく臍下丹田に気づきました)

 

 

『人生100年時代』といわれています。

『氣』を意識しないでも長生きできる時代になりました。

(昔の平均寿命の短さの最も大きな要因は、戦【いくさ】による殺生と命をいつ奪われるかわからない過大なストレス等による病気等心身の不調が主な原因ではないかと思っているのはさておき。)

 

食料や氣を補填して、消費した氣を上回る供給により、命を延ばしてきたのかもしれません。

昔は氣の消費を浪費しないことが、なによりも大切でした。

それは、「ほどほどに」「ぼちぼち」といった感覚であり、そこには『謙虚さ』があったのでしょう。

 

現代は、昔と較べて『謙虚さ』が少なくなったのは確かだなぁと本を読んで実感しました。

 

日本人の平均寿命が85歳前後から100歳前後になるという。

今の小学生の2人に1人は100歳まで生きる。

 

そんな時代、大切なのは長く生きることよりも、どう生きるか、だと思いますが如何でしょう?

布薩(ふさつ)

円覚寺にて、横田南嶺老大師と円覚僧堂の雲水さん(修行僧)達と一緒に〝布薩〟を実践して参りました。

実践した後は、横田南嶺老大師を囲んで僧侶10数名の勉強会。

布薩(ふさつ)。

初めてこの字をご覧になった方はなんだろうと思われますよね。

菩薩(ぼさつ)の従兄弟かしらと思うかもしれません。

 

ひと言でいうと、〝反省会〟のようなモノです。

仏教における規範のことを〝戒律〟といいます。これは馴染みのある言葉かもしれません。

戒律は厳密にいうと、戒と律の2つに分かれます。

律とは修行している僧侶達の集団(サンガ僧伽)における規則。その集団における社会がきちんと動くようなルールですから、これは破ることは許されません。

戒とはシーマという言葉から戒(いましめ)と訳されましたが、これは〝良き習慣〟というようなものです。

 

少し話が逸れましたが、この勉強会に参加する前の私は、律の研究の第一人者である佐々木閑先生の教えから次のような認識でした。

〝布薩〟とはサンガの中における修行僧達が月に2回、新月の夜と満月の夜に集まり円座になって、一人ずつ戒を破っていないかどうかの告白をして、もし破った者がいた場合は他の修行僧達から許しを貰い、そして再び修行に励むもの。

 

3年前に方広寺にて2日間を2回、合計4日間の間に末寺の総代さん約200人の授戒会を行いました。

この授戒会は大変意義深いもので、参加された総代さん方からも本当にたくさんの感謝の言葉をいただきました。

 

しかし、授戒会はやはり、戒を授かった後、いかにそれを日々の生活に生かしていくかが最も大切なわけです。

「戒を授かりました。はい、おしまい」ではないわけです。

 

お釈迦様の時代の、この〝布薩(ふさつ)〟のように、その都度その都度、ことある毎に自分自身の修行を見つめ直す機会は本当に大切だと思います。(僧侶にとっても一般の方にとっても)

 

しかし、大勢になればなるほど、この布薩を一般の方向けに行うのは難しいなぁと感じていました。

なぜなら、全員が顔見知りではない状態で(例え顔見知りであったとしても)大勢の方の前で自分の〝破戒を告白〟するということは勇気の入ることでもありますし、その参加者の中で不協和音が生まれる可能性も否めません。

ですので、この布薩は私の頭の片隅にありながらも、一旦棚上げされた状態でありました。

 

すると、円覚寺さんでは布薩を実践されているらしいぞという情報が入ってまいりまして、円覚寺の横田南嶺老大師ご指導の下、実体験させていただきに行ってまいりました。

 

老師のお話によりますと、京都の建仁寺さんでは年1回〝儀式〟としての布薩は残っているそうです。

その儀式としての布薩をもっと反省・自覚をするようなものにしたいとお考えになられ、臨済寺さんの布薩も参考にされながら、【再・授戒】という形の布薩を作られたとのことでした。

実際に体験しましたが、これは非常によくできた【行(ぎょう)】でした。

お釈迦様の時代の布薩とはやり方が全然違いますが、その頃の布薩の意義・本質はそのまま踏襲されているという素晴らしい行の形を取られています。

これなら、〝破戒を告白〟するわけではありませんので、参加者の中で不協和音が生まれる心配もありません。

しかしそれでいながら、しっかりと自分自身の修行を見つめ直すという本質の部分は、参加者全員にしっかりと意識付けされるという、本当によくできたものでした。

 

そして

戒は〝いましめ〟というより〝良き習慣〟なんだ。

習慣といっても、〝戒を守るように習慣づける〟と考えてしまうと苦痛になってしまう。

〝戒を破ったことに気がついて戻ることを習慣づける〟んだ。

人間は戒を破ってしまうもの。背いたことに気がつくことが重要!!と仰っていたことが心に残っています。

 

例えば、不飲酒戒(お酒をみだりに飲んではいけない)なんてその最たるものですね。

〝般若湯〟なんて名前を付けてますが、〝破戒〟なんだということに無意識・無頓着になっています。

しかし、日本の社会習慣・人間関係の付き合いとして飲まざるを得ない時も勿論あるでしょう。

それも分かります。

ですから、戒を破ってしまったことを自覚する〝布薩(ふさつ)〟という〝行(ぎょう)〟はまさに必要とされるべき、実践すべきものだと自覚しました。

 

・・・坐禅会の別枠として正光寺で行うかどうか検討中です。

『正月や 冥土の旅の~』

1月1日元旦朝4時からの法要後に安永管長猊下が御垂訓された言葉を掲載します。

私は次の法要の準備に向かっておりましたので、直接お言葉を拝聴したわけではありませんが、人づてにその時のお話を伺うと身が引き締まる思いがしました。

30年程前、私が天龍寺で修行していた頃、毎月1回嵯峨鉢という托鉢を雲水(修行僧)全員で行います。

いつの頃からか、若い雲水達の一番最後に朗らかな尼僧さんが一人、托鉢について回られるようになりました。

瀬戸内寂聴さんでした。

当時、嵯峨野に「寂庵」という庵をたてられた頃で、その瀬戸内さんが雲水と一緒に托鉢をされておりました。

若い雲水は影で「いつまで続くものやら」と陰口を叩いておりましたけれども、長いこと雲水と一緒に托鉢をされておられたことを覚えております。

先月、その寂聴さんが雑誌のインタビューで「最後に寂聴先生が死をお迎えになるとするならば、どのようにお迎えされたいですか」とインタビュアーが訊ねました。

すると、「私は机に向かって、原稿用紙を広げて万年筆を持ったまま小説を書いている途中で息を引き取りたいものです」とこう仰いました。

新年早々、なんということをいうか、と思われるかもしれませんが、『正月や冥土の旅の一里塚。めでたくもあり めでたくもなし。』そういう古歌もあります。

そのように最後まで己を見つめ、精進を重ねつつ、志半ばで最後を迎えるということは、それこそが人間の生き様として一つの在り方ではないかとそんなことを年頭の頭として痛感しておる次第です。

今年は『亥(い)』の年であります。

お互いに仏道またそれぞれの道においてまっしぐらに精進を重ねていきたいものです。

どうぞ皆様ご健康にご留意されまして、ひときわの精進を重ねられますように心よりお祈り申し上げます。

 

おててのしわとしわをあわせて。

坂村真民ツアー

さまざまなご縁から、鎌倉円覚寺の横田南嶺老師と老師を慕う有志の和尚さん達と共に宇和島「坂村真民の足跡」を辿る研修に参加した時の写真です。

坂村真民先生の詩は、横田南嶺老師の御法話の中でもたびたび登場します。

『念ずれば花ひらく』『二度とない人生だから』『鳥は飛ばねばならぬ』等々、数え上げるとキリが無いほどです。

真民先生の詩を非常に愛されている南嶺老師に、真民先生の足跡(タンポポ堂・重信川・大乗僧堂等々)を御案内していただく研修は、真民先生の心に想いを馳せる旅でもありました。

この時の研修のお話はまた別の機会に譲りまして、最近、感銘を受けた詩をご紹介します。

「手を合わせる」 坂村真民

めぐりあいのふしぎに

てをあわせよう

そうだ

手を合わせたら

自分が変わる

相手が変わる

家族が変わる

憎む者さえ変わってくる

わたしは毎日

五臓六腑さま 今日も

よろしくお頼みしますと

手を合わせる

病気しないのも

そのためだろう

世界中の人がみんな

手を合わせあったら

争いもなくなってゆくだろう

 

・・・本当にこの通りだと思います。

30年前のCMを最近ふと思い出しました。

小学校にあがるかどうかの頃によく流れていた記憶がありますが、御存知の方もいらっしゃいますでしょうか。

お味噌汁のCMだった気がします。

「おててのしわとしわをあわせて、しあわせ。な~む~。」

良いキャッチフレーズだなぁ~と今更ながら、感心します(・o・)

合掌した状態で喧嘩って出来ないんですよね。

殴り合いはもちろん。暴言も吐けないと思います。

手と手をあわせる。合掌。

生まれて間もない頃のこどもが朝日に向かって、手を合わせているのを見た時は衝撃を受けました。

大きくなって教わったわけではない、無意識の合掌。

人間は本能で、手を合わせるんですね。

理屈でなく、理性でなく、手を合わせるんですよ。ビックリしました。

仏教。なかでも臨済宗は別名「仏心宗」と呼ばれたりもします。

本来、わたしたちはほとけさまと同じこころを持っている。

それが、知恵がつき我がうまれ、自分にとって好ましい形「或(わく・区切る)」を作る。

「或」に「心」をつけると「惑」。心を区切るから、惑うんです。

成長するにつれ、「或(わく)」をあてはめて物事を考えるようになります、頑固になる。だから迷ってしまう。

孔子が40歳を『不惑(ふわく)』と言ったのは、この年になれば惑わない(迷わない)といったわけではありません。

どんどん頑固になるから、『惑うな!!』『或を作るな!!』という戒めの言葉です。

本来の心(こころ)に立ち返る。

そのために禅宗(臨済宗)では、時に「坐り(座り)」、時に「いのり(祈り)」ます。

赤ん坊の合掌に心が震えたのも、自分にとっての戒めだったのかもしれません。

教えているようで、教わっているような、そんな今日この頃です。

~『息』を調える~

こども坐禅会の感想文の中にでてくる『息』のお話をします。

坐禅をする際に大切なことは3つあります。身体と呼吸(息)と心を調えることです。

息を調えることは何も規則正しく呼吸をするだけではありません。

『息』という字を上下2つに分けてみると、『自』という字と『心』という字から成り立っています。『自』=『自分』であり、『自意識』であり、『理性』でもあります。

『心』というのは、コロコロコロコロあっちこっちに動き回るから『こ・こ・ろ』という位、なかなかコントロール出来ない『感情』であり、『本能』であります。

『息』を調えるとは、この『自』と『心』がちょうど良いバランスになっているかどうかを自分自身で見つめることに他なりません。

『自』だけがどんどん大きくなっていくと、どうでしょう?

『心』はその重みに耐えきれずに潰れてしまいますね。そうして『自』だけになってしまうと、人の痛みが分からない傲慢な自分本位の人間になってしまいます。

反対に、『心』だけが大きくなっていくと、どうでしょう?

『心』は動き回るのがその本質ですから、小さい『自』を振り落としてしまうかもしれません。そうして、『心』だけになってしまうと、感情・本能のままに生きる我が儘な人間になってしまいます。

「よく遊び、よく学べ」といいますが、両方大切です。

学ぶことで『自』が育ち、遊ぶことで『心』が育ちます。

『自』と『心』がちょうど良いバランスになっているかどうか、よ~く見つめくださいね。

といったお話でした(^_^)

ぜんざい童子

善財童子。

有名なのは、世界遺産 栂尾山 高山寺の善財童子像かもしれません。

小学生の頃、教科書の写真で見ましたが、広い部屋の真ん中で走るようなポーズの善財童子が非常に印象的だったのを覚えています。

実際に参拝もしましたが、どういう仏様なのか当時は知りませんでした。

少しご紹介したいと思います。

昔、スダナ(善財)という童子があった。この童子もまた唯ひたすらに道を求め、悟りを願う者であった。海で魚を捕る漁師を訪れては、海の不思議から得た教えを聞いた。

人の病を診る医師からは、人に対する心は慈悲でなければならないことを学んだ。また、財産を多く持つ長者に会っては、あらゆるものは皆それなりの価値を備えているということを聞いた。

また、坐禅する出家を訪れては、その寂かな心が姿に現われて、人々の心を清め、不思議な力を与えるのを見た。また気高い心の婦人に会ってはその奉仕の精神にうたれ、身を粉にして骨を砕いて道を求める行者に巡り会っては、真実に道を求めるためには、刃の山にも登り、火の中でもかき分けてゆかなければならないことを知った。

このように童子は、心さえあれば目の見るところ、耳の聞くところ、皆ことごとく教えであることを知った。

かよわい女にも悟りの心があり、街に遊ぶ子供の群れにも真の世界のあることを見、素直な優しい人に会っては、ものに従う心の明らかな智慧を悟った。

香をたく道にも仏の教えがあり、華を飾る道にも悟りの言葉があった。ある日、林の中で休んでいたときに、彼は朽ちた木から一本の若木が生えているのを見て生命の無常を教わった。

昼の太陽の輝き、夜の星の瞬き、これらのものも善財童子の悟りを求める心を教えの雨で潤した。

童子はいたるところで道を問い、いたるところで言葉を聞き、いたるところで悟りの姿を見つけた。

まことに、悟りを求めるには、心の城を守り心の城を飾らなければならない。そして敬虔に、この心の城の門を開いて、その奥に仏を祀り、信心の華を供え、歓喜の香を捧げなければならないことを童子は学んだのである。

このように、善財童子は文殊の教えを受け、55ヶ所・53人の善知識を歴訪して教えを受けます。53人のなかには長者・医者・仏教以外の宗教者等々がいました。様々な人から先入観無しに教えを受け、最後に弥勒・文殊・普賢の3菩薩のところへ行き、真実の智慧を体得しました。この故事から「東海道五十三次」が出たとも言われています。

善財童子のように、私たちも日常生活の中でカラスの鳴き声や谷川のせせらぎ、竹藪を通る風の音も全て仏の説法であると感じられるようになれば、日常生活がそのまま極楽浄土になるのかもしれませんね。

『生かされて活かす命』

山田真隆師

湖西市新居町のお寺さんの法話会の加担に行って参りました。

講師の方は、国泰寺派吉祥寺 山田真隆師です。

有形・無形のありとあらゆるモノのおかげで私たちは生かされている。

生かされている自分達の命をどう活かしていくか。というのが法話の骨子で、良いお話でした。涙を堪えるのに苦労した程です。

その中でうるっときた話をご紹介しましょう。

『母の思い出・僕を支えた母の言葉』

僕が3歳の時、父が亡くなりその後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた。

仕事から帰った母は疲れた顔も見せず晩ご飯を作り、晩ご飯を食べた後は内職をした。毎晩遅くまでやっていた。母が頑張ってくれていることはよくわかっていた。

だけど、ぼくには不満もいっぱいある。学校から帰ってきても家には誰もいない。夜は夜で母は遅くまで内職。そんなに働いているのに我が家は裕福ではなかった。遊園地にも連れて行ってもらえない。ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない。テレビが壊れた時も半年間買って貰えなかった。僕はいつしか母にきつくあたるようになった。「おい!」とか「うるせぇ!」とか生意気な言葉を吐いた。「ばばぁ」と呼んだこともあった。それでも母はこんな僕のために頑張って働いてくれた。そしてぼくにはいつも優しかった。

小学校6年の時、初めて運動会に来てくれた。運動神経の鈍い僕は駆けっこでビリだった。悔しかった。家に帰って母は僕にこう言った「駆けっこの順番なんて気にしない、お前は素晴らしいんだから。」だけど、僕の悔しさはちっとも収まらなかった。僕は学校の勉強も苦手だった。成績も最悪。自分でも劣等感を感じていた。だけど母はテストの点や通知表を見るたびにやっぱりこう言った「大丈夫、お前は素晴らしいんだから。」僕には何の説得力も感じられなかった。

母に食ってかかったこともあった。「何が素晴らしいんだよ。どうせ俺は駄目人間だよ。」それでも母は自信満々の笑顔でいった「いつかわかる時が来るよ。お前は素晴らしいんだから。」

僕は中学二年生になった頃から仲間達と煙草を吸うようになった、万引きもした。他の学校の生徒とケンカもした。母は何度も学校や警察に呼び出された。いつも頭を下げて、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」と謝っていた。

ある日のこと、僕は校内でちょっとした事件を起こしていた。母は仕事を抜け出し、いつものように謝った。教頭先生が言った。「お子さんがこんなに悪い子になったのはご家庭にも原因があるのではないでしょうか。」その瞬間、母の表情が変わった。母は明らかに怒った顔で教頭先生を睨み付けきっぱりと言った。「この子は悪い子ではありません。」その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った。母は続けた「この子のやったことは間違っています。親の私にも責任があります。ですが、この子は悪い子ではありません。」僕は思いっきりビンタを食らったようなそんな衝撃を受けた。僕は湧いてくる涙をおさえるのに必死だった。母はこんな僕のことを本当に素晴らしい人間だと思ってくれているんだ。

翌日から僕は煙草をやめた。万引きもやめた。仲間達からも抜けた。

その後、中学校を卒業した僕は高校に入ったが、肌が合わなくて中退した。そして、仕事に就いた。その時も母はこう言ってくれた。「大丈夫。お前は素晴らしいんだから。」

僕は心に誓った。ここからは僕が頑張ってお母さんに楽をしてもらうぞ。だけどなかなか仕事を覚えられなくてよく怒鳴られた。「何度同じことを言わせるんだ。少しは頭を働かせろ。お前は本当に駄目な奴だな。」怒鳴られる度に落ち込んだけど、そんな時、僕の心には母の声が聞こえてきた。

「大丈夫。お前は素晴らしいんだから。」

この言葉を何度も噛みしめた。そうすると元気が湧いてきた。勇気も湧いてきた。いつかきっと僕自身のすばらしさを証明しておかあさんに見せたい。そう考えると僕はどこまでも頑張れた。

仕事を始めて半年位経った時のことだった。仕事を終えて帰ろうとしたら、社長が飛んできて言った。「お母さんが事故に遭われたそうだ。すぐ病院へ行きなさい。」

病院に着いた時、母の顔には白い布が掛かっていた。

僕はわけがわからなくて、何度も「お母さん!」と叫びながら、ただただ泣き続けた。

僕のために身を粉にして働いてくれた母。縫い物の内職をしている時の母の丸くなった背中を思い出した。母は何を楽しみに頑張ってくれたんだろう。

これから親孝行できると思ったのに。これから楽をさせられると思ったのに。

葬式の後で親戚から聞いた。母が実の母ではなかったことを。

実母は僕を産んだときに亡くなったらしい。母はいつかそのことを僕に言うつもりだったんだろう。もしそうだったら、僕はこう伝えたかった。

「血は繋がっていなくても、お母さんは僕のお母さんだよ。」

あれから、月日が流れ僕は35歳になった。

今あらためて母にメッセージを送りたい。

「お母さん、僕とは血が繋がっていなかったんだね。そんな僕のために、お母さんは昼も夜も働いてくれたね。そして、お母さんはいつも言ってくれた。『お前は素晴らしいんだから。』その言葉がどんなに僕を救ってくれたか、どんなに僕を支えてくれたか。あれから僕なりに成長し、今は結婚して子供もいるよ。規模は小さいけど会社の社長になって、社員達と楽しくやっているよ。まだまだ未熟な僕だけど、僕なりに成長してきたと思う。その成長した姿をお母さんに見せたかったよ。『お前は素晴らしい』と言ってくれたお母さん。その言葉は間違っていなかったっていう証拠を見せたかった。そして、それを見せられないことが残念でならなかった。だけど、最近気付いたんだ。お母さんは最初から僕のすばらしさを見てくれてたんだよね。証拠なんてなくても、ちゃんと心の目で見てくれてたんだよね。だってお母さんが『お前は素晴らしいんだから』というときは全く迷いが無かったから。お母さんの顔は確信に満ちていたから。僕も今、社員達と接していて、ついついその社員達の悪いところばかりに目がいってしまうことがある。ついつい怒鳴ってしまうこともある。だけど、お母さんの言葉を思い出して、心の目で社員のすばらしさを見直すようにしているんだ。そして、心を込めて言うようにしている。『君は素晴らしい』って。おかげで社員達とも良い関係を築け、楽しく仕事をしているよ。これもおかあさんのおかげです。お母さん、血は繋がっていなくても僕の本当のお母さん、ありがとう。」

『いただきます』

(しょく)()()(かん)(もん) …食事の前に唱えることば…

一つには 功()()(しょう)(はか)()(らい)(しょ)を量

食事が出来上がるまでには、自然の恩恵や人々のどれほどの苦労があったであろうか、そのよって来たるところを思い量りながらこの食事を頂戴します。

二つには 己()(とく)(ぎょう)(ぜん)(けつ)(はか)って ()(おう)

自己を振り返り、徳のある行いが完全であるか欠けているのかを推し量り、この供養に応じることと致します。

三つには 心()(ふせ)(とが)(とん)(とう)(はな)るるを(しゅう)とす

悪心の起こることを防ぎ、貪・瞋・癡の三毒などから離れることを教えと致します。

四つには (まさ)(りょう)(やく)(こと)とするは (ぎょう)()(りょう)ぜんが(ため)なり

食物は正に良薬と心得て、心と体に必要なだけ頂きます。

五つには 道業(じょう)ぜんが(ため)(まさ)にこの(じき)()べし

仏道修行を完成するために、まさにこの食事を頂戴します。

 

禅寺では、朝・昼の食事をいただくときに「般若心経」というお経を含め、全部で5種類のお経を唱えてから食事をいただきます。

その内の一つが上記の「食事五観文」というお経です。それぞれのお経の下に訳を書いていますが、さらに砕いて訳しますと。

一. 目の前の食事は、農家の方や運送会社の方。料理人やお母さん達によって目の前に運ばれて来ているということに想いを馳せましょう。

二. その様々な人の手によって運ばれて来た「この食事」をいただくだけの日頃良い行いをしているかどうか自分自身を省みましょう。

三. 好き嫌いすることなく、むさぼることなく(腹八分目)、食事をいただきましょう。

四. この食事をいただくことで心身ともに健康になりましょう。

五. 自己の本分(例:仕事や家庭のこと等々)を充実させるためにこの食事をいただきます。

となります。

 

『いのちをいただく』という絵本。

この絵本には、食肉加工センターの「坂本さん」という実在の人物が登場します。

坂本さんの職場では毎日毎日たくさんの牛が殺され、その肉が市場に卸されています。

牛を殺すとき、牛と目が合う。そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」と思っていました。

ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。

「明日の牛か・・・」と坂本さんは思った。

しかし、いつまで経っても荷台から牛が降りてこない。不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、牛のおなかをさすりながら何か話しかけている。その声が聞こえてきた。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ・・・」

坂本さんは思った、「見なきゃ良かった」。

女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。

「みいちゃんはこの孫と一緒に育てました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。明日は宜しくお願いします・・・」

「もうできん。もうこの仕事はやめよう」と思った坂本さん、明日の仕事は休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。しのぶ君はじっと聞いていた。

一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君はお父さんに言った。

「やっぱりお父さんがしてやってよ。心の無か人がしたら牛が苦しむけん。」

しかし、坂本さんは休むと決めていた。

翌日、学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。

「お父さん!今日は行かなんよ!!(行かないといけないよ)」

坂本さんの心が揺れた。そしてしぶしぶ仕事場へと車を走らせた。

牛舎に入った。坂本さんを見ると、他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。

「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと皆が困るけん。ごめんよう。」と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。

殺すとき、動いて急所を外すと牛は苦しむ。坂本さんが「じっとしとけよ、じっとしとけよ。」と言うと、みいちゃんは動かなくなった。

 

次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。牛の涙を坂本さんは初めて見た。

 

この絵本のあとがきに。

「私たちは奪われた命の意味も考えず、毎日肉を食べています。自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の悲しみも苦しみも知らず、肉を食べています。『いただきます』『ごちそうさま』も言わずにご飯を食べることは私たちには許されないことです。感謝しないで食べるなんて許されないことです。食べ残すなんてもってのほかです・・・」

 

お経を毎日あげることで気づけた人。お経をあげてても気づかない人。お経をあげなくても気づけた人。全く気づかない人。いろんな人がいますが、できるなら気づける人でありたいですね。

『心頭滅却すれば 火も自ずから涼し』

ふれあい法話

平成29年2月4日の「ふれあい法話」面白かったです!!

東京大学大学院を受験する時のお話から、山梨県恵林寺の快川国師が炎に包まれて落命する最後の瞬間に唱えた

〝安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)〟

〝滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し)〟

のお話。

吉田松陰とお弟子さん達のお話。

「修行とは」についてのお話。

修行は、自分自身の向上もあるが、大切なことはそんなことではない。修行すると何が違うかというと、自分自身が良くなっただけで終わっていては「で、それでどうしたの?」って言われたら終わりでしょ?良くなったものが生きていかないといけない。それを生かすのは本人じゃ無理なんですよ。共感して受け止める方がいないと無理。どんな人でも。勿論、本人が努力しないとダメですよ。でも、本人が努力しても努力してもどんなに努力しても受け止める人がいないといけない。ていうことは、まずは指導者として素晴らしい人がいたら、その人のために自分が頑張るんですよ。まず頑張る。自分が凄くなることも必要だけど、自分は凄くなくてもいい。中途半端なままでもいい。だけど、できることをする。当たり前のことでもいいんです。イチローじゃなくてもいい。例えば、ラグビーの話をすると、選手としては2流でも自分の仲間が良いプレーができるように、毎日毎日ラグビーボールを磨いてたりするわけですよ。それ、凄いことでしょ。そこから始まるんですよ。自分がもしプレーができれば、一生懸命プレーをすればいい。でも、プレーができようとできまいと、ラグビーボールを磨くような気持ちが無かったら、何もできないとおもいます。ラグビーボールを磨いているやつだけが、プレーしてイチローになれるんですよ。だから、修行して何が大事かっていうことが見えないと、長年修行していてもあんまりわからないんですよ。自分の人生を振り返ってみて思うことがあるんですよ。私がなんで苦しんでいたのかというと、「自分」をね、抱え込んでいたんですよ。「素晴らしい一句とは」「自分にしか吐けない一句を吐く」とかね。だけど、今思うことは、「その人にしか吐けない一句を吐く」人がいたとしても、それはその人のパッチワークで。そんなことは大したことじゃ無いんです。そうじゃなくて、私が一生懸命身を削る思いで哲学をやって、人に伝えなきゃならない大事な教えを一生懸命書を読んで、言葉と戦って格闘した哲学者っていっぱいいるんですよ。例えば、西田幾多郎とか鈴木大拙とか。白隠さんもそうでしょ。身を削るような努力をして言った人ですよ。白隠さんのことを皆さん「凄い」「エネルギーが余っていて境涯が凄いから、枠から画がはみ出るんだ」なんて言いますが、そんなわけは無いと思いますよ。当時の80歳といったら、それはもう相当なおじいさんですよ。しかも、白隠さんは若い頃から凄い修行をされていた方ですから、体だってボロボロです。そんな白隠さんがあんなことをしてまでも晩年までずっと書き続ける。「それは何故か」って、それは白隠さん自身が凄いんじゃなくて、「伝えたいモノがある」からですよ。そして、弟子達がそれを一生懸命一生懸命したから、白隠さんの名前が残ったわけでしょ。そしたら、白隠さんの弟子が偉いんですよ、やっぱり。弟子が凄いから白隠さんの名前は残ったんです。大事なことは、自分にしか言えない一句を吐けたら一番良いですよ、でも吐けなくても良いんですよ。自分にしか言えない一句を吐いて一生懸命頑張っている人がいたら、自分がその人のことを受け止めて一生懸命生きることなんですよ。自分がやれることをやればいい。地味でも良いからやることをきちっきちっとやるという覚悟があれば良いんです。(一部、抜粋しました)

等々、感銘を受けるお話が多々ありました。

今まで、周賢老師が一般の方向けに法話をされているのを聞いたことがありませんでしたので、初めて聞いて面白かったです。

余談になりますが、法話後の懇親会では、「山梨の町おこし」について真剣に語っていらっしゃいました。

山梨には周賢老師という凄い人がいますので、是非みなさん山梨に行ってみてください(^_^)