『 念ずれば 花ひらく 』

方広寺の山内に足利紫山老師の銅像があり、その傍らに「念ずれば 花ひらく」の詩碑が立っています。

IMG_9833

坂村真民先生と足利紫山老師には大変深いご縁があったそうです。

坂村真民先生は、紫山老師との出会いを次のように語っています。

〝 私が禅の道を一筋に行こうと思い立ったのは、足利紫山老師に巡り会ったからである。私は遠くから老師のお顔を見ていた。なんといういい顔であろうか。私は今までこのようないい顔の人に会ったことはない。それはもう老師その人の偉さというより、その後ろに山がある、川がある、木がある、海がある、星がある、そのような豊かさなのであった、広さなのであった、大きさなのであった、深さなのであった。

その時私は思った。ああこんな人になれるなら、自分もこの道を行ってみたいと。

そういう心の起こるのは初めてであった。私は観音経にある「福聚の海無量なり」という言葉を思い出していた。

静岡県奥山の半僧坊で知られた大本山方広寺は、まことに幽𨗉なお寺である。その一番奥まった部屋で、私は面を接したのである。97歳の老師のあたたかさ、ゆたかさ、ほのぼのとしたうつくしさ、それはもう人間ではなく、菩薩そのものであった。独坐大雄峯というような威圧感もなく、万有一如の天然自然のお姿であった。

老師はじっと私の顔をご覧になり、私を連れて行ってくださった河野宗寛老師に、

「この人お医者さんかな」

と、おっしゃった。すると宗寛老師は、

「いや、詩人です。詩を作る人です」

と、耳元近くおっしゃった。

「そうかいな」

と老師は笑顔をなさった。

私はこの日のことを生涯忘れないであろう。

そうだ、人の心を癒やす医者になろう、そうした詩人にならねばならぬ、と思った。

この時私の体に一本の大きな鉄の棒が打ち込まれたのである。〟 と。

こういったお話を聞くと、歴史上の人物としてしか知らなかった方々に息吹きが吹き込まれると申しますか、少し身近に感じることが出来ますね。

『 念ずれば 花ひらく 』は坂村真民先生の代表的な詩のひとつです。

〝 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを

 わたしもいつのころからか となえるようになった

 そうしてそのたび

 わたしの花がふしぎと

 ひとつひとつ ひらいていった 〟

真民先生は、母への感謝と報恩の気持ちを随筆集『生きてゆく力がなくなる時』の中で次のように表現しています。

〝 生身の人間には、いつどのような生活の激変がやってくるか知れない。そういう運命の岐路に立たされた時、立ち上がる人と落ちてゆく人に分かれる。無事平穏に過ごしている時は、何の心の修練もいらない、信仰もいらない。しかし、急に嵐がやってきた場合、備えを持つ人と持たない人とは、はっきり二分される。私が母への恩返しのために詩に精進しているのも、急変に会ってグラグラしなかった強さを、私自身受け継ぎたいからである 〟と。

『 念ずれば 花ひらく 』の詩が生まれたのは、真民先生が46歳で目を患い、母の労苦に報いることなく病気になったことを深く思い悲しんでいた時です。

『 念ずれば 花ひらく 』は、母の念仏ともいえる自己激励の言葉であり、5人の子供を育てあげようとする悲願の念誦でした。

〝 母は72歳で亡くなったけれども、母は私にとって永遠に咲き匂う一輪の花である。私は、返しても返しきれない母の大恩を、いくらかでも返し軽くしようと、詩を書き続けているのである 〟とおっしゃっています。

 

『 念ずれば 花ひらく 』

私たちもこの詩のように念ずれば花ひらくという世界。

どんなに困難で苦しくても念じて一生懸命に生きていけば、例え自分の生涯において叶わなくてもその願いは生き続け、きっといつかその願いは叶うんだという信念を持って、生きていきたいと思う次第です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です