『どたんば』

人は「仏心の中に生まれ 仏心の中に生き 仏心の中で息をひきとる」とは、元円覚寺の朝比奈宗源老師のお言葉です。これをわかりやすく伝えようと現円覚寺の横田南嶺老師は、「仏心」を「大自然」と置き換えてもかまいませんよと仰っています。このことを正光寺の坐禅会でお話ししたら、毎回坐禅会に参加されている70代の男性が「あぁ、それは良くわかる」と感じ入ったように何度も頷かれました。朝比奈宗源老師も著書の中で、「自分はたまたま数ある言葉の中から〈仏心〉を使っただけだ」と仰っています。

私は自分ならどんな言葉をあてはめるかなぁ?と考えました。〝おかげさま〟っていうのも良いかもしれませんね。

人は「おかげさまの中に生まれ おかげさまの中に生き おかげさまの中で息をひきとる」

詩人まど・みちおさんの詩に『朝がくると』というのがあります。抜粋すると。

朝がくると とび起きて

ぼくが作ったものでもない 水道で顔をあらうと

ぼくが作ったものでもない 洋服をきて

ぼくが作ったものでもない ごはんをむしゃむしゃたべる

それから ぼくが作ったものでもない 本やノートを

ぼくが作ったものでもない ランドセルにつめて背中にしょって

たったか たったか でかけていく

 

ああ なんのために

いまに おとなになったら ぼくだって ぼくだって

なにかを 作ることが できるように なるために

この詩では、こどもの頃を詠っていますが、大人になってからもそれほど変わりがあるわけではありません。

誰もがさまざまな人の〝おかげさま〟の中で暮らしています。

人は「おかげさまの中に生まれ おかげさまの中に生き おかげさまの中で息をひきとる」

赤ん坊を見ていると本当に感心してしまいます。

身体は出来上がっていても、視力もほとんど見えない、起き上がることも出来ない、ご飯を食べることも出来ない、服を着替えることも出来ない。何も出来ない状態で生まれてきて、その状態が何ヶ月も続きます。

誰かが必ずやってくれる。いろんな人が自分を助けてくれる。さまざまな人のおかげでなんとかなる!何も出来なくても大丈夫!!と。まだ、ぼんやりとしか見えない両親やまわりの人に全幅の信頼を置いています。身体中から「信じてる!!」という声が聞こえてきそうです。そのあまりにも純真無垢な信頼が周囲の人を笑わせ、笑顔にします。

自分自身の「いのち」をまわりの人に預けてる。

こんなに無条件で、自分自身を投げ出す経験が他にあったかなぁ?と振り返ると1度あったなぁと思うくらいです。

そのときは、よくどっちに転ぶかわからない状況の中で、「どっちに転んでも構わない!!」という覚悟でよく自分自身を投げ出すことが出来たもんだと思っていたんですが、生まれた時に既に一度はやっていたんですよね、誰もが。

あと何度、自分の人生でこんな『どたんば』(土壇場:物事が決定しようとする最後の瞬間・場面)と出くわすかわかりませんが、誰もが経験する最後の『どたんば』でも生まれた時と同じように〝おかげさま〟を信じられるんじゃないかなぁと最近よく思います。

自分の「いのち」を〝仏心〟〝大自然〟〝おかげさま〟の中へ預けることができそうです。

そんなふうに今日も〝おかげさま〟の中で生きている私です。

誰かの〝おかげ〟であれるよう、今日も手を合わせます。

岑月 合掌

 

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