禅≠仏教?

『禅≠仏教?』なんていう大仰なタイトルをつけてしまいましたが、最近ふと疑問に思いました。

禅ブームの再来!?と思うくらい、書店やコンビニの本棚には禅関係の書籍や雑誌を見かけます。Googleやインテル、Facebookといった名だたる企業が「仕事のパフォーマンス向上」の為に坐禅を取り入れているのも理由のひとつかもしれません(詳細:マインドフルネスとは?参照

書店はともかくコンビニでは限られたスペースの中で禅の雑誌が並べられ、奥山の本山では坐禅や写経を希望される方が年々増加しています。TVではゴールデンの時間帯に「ぶっちゃけ寺」という番組が放映され、にわかに禅・仏教が注目を集めているなぁと感じる日々です。

しかし、一方ではAmazonが「お坊さん便」なるサービスを始め、それに対して全日本仏教会が抗議の声明を出しました。「お坊さん便」は決して安価ではありませんが、東京の若年世代を中心に受け入れられていると聞きます。また、直葬なる言葉も近年生み出されました。東京を中心とする都市型のライフスタイルが生み出す問題意識が、そっくりそのまま都市化しつつも伝統を尊重する地方に波及するとは思わないでもないですが、直葬は故人の生前築いてきた縁や人間関係・つながりといったものを残された遺族が断ち切ってしまうことになりはしないかと危惧の念を抱きます。

この二つの流れから感じることは、禅の代名詞ともいえる坐禅や写経といった個人的なもの(自分に何らかの利益・成長を促してくれると感じるもの)に対しては興味・関心を抱き、日本仏教が担ってきた葬儀・法要といった先祖供養(直接的に自分自身が何かを目に見える形で取得できると感じないもの)に対しては疎かになり始めているのではないでしょうか。都市型のライフスタイルは、他者との繋がりをなおざりにして自己の欲求に邁進していく傾向にあるのかもしれません…。

さて、お盆です。

お盆のお経まわりで各ご家庭に伺うとキュウリで作った馬やナスで作った牛がお仏壇を飾ります。お盆にはご先祖様達が還ってくるという文化が息づいています。

平安時代より『無常』という価値観と『あはれ』という価値観が日本人の美学として大切にされてきました。どうしたら、死んだ人の魂が鎮まり、なぐさめられるのかということについて、日本人は強い関心を抱き続けてきたのではないでしょうか。その永く続く強い問いと時の試練に耐え、日本の仏教の葬送文化は培われてきました。

『父母生麹劬労の大恩』という禅語があります。

生麹とは、こどもを生み育てること。劬労とは身体を使い減らして疲れ切っているさま。

意味は、私達の両親は、私達を生み育ててくれた。身体を使い減らして疲れ切るくらい精一杯育ててくれたから、今の私達がいる。父や母の恩というものは計り知れないものだという意味になります。

ここでは、父母についてお話しましたが、何も両親に限ったことではありません。こどもだってそうです。こどもが自分を親にしてくれた。親としての自覚を育ててくれる。また、自分の周りを見回してみると、自分で作ったものは何も無いということに気がつきます。家や服、冷蔵庫、洗濯機。鉛筆や本、水道、電気、お米や野菜に至るまで自分で作ったものはほとんど何もありません。いろんな人のおかげでこうして生きている。生かされている。

お盆を迎えました。

その生かされている「いのち」に感謝して、父や母、ご先祖様に想いを馳せたいと思います。

岑月 合掌

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