白隠禅画帖

『一円相』
 白隠禅師とは
江戸時代中期の臨済宗の僧。駿州原の生まれ。名は慧鶴。15才で郷里の松蔭寺で出家。諸国行脚の後、31才の時、松蔭寺の住職となる。42才で大悟。以降、各地で説法し、多くの仮名法語を著し、墨跡・禅画を描いて、大名から庶民に至る全ての人々に時代に即応した禅を説いた。「臨済宗 中興の祖」と謳われる。

来年、白隠禅師の250年遠諱にあたります。
白隠禅師の魅力のひとつが禅画ですが、その禅画を「白隠禅画シリーズ」と銘打ち、少しご紹介したいと思います。
今回の禅画は、有名な「一円相」ですが、その隣の讃(文字の部分)に何と書いてあるか読めますか。
この禅画は、右からではなく左から読みます。
〝 遠州浜松よひ茶の出所 むすめやりたや いよ、茶をつみに 〟
これは、日本各地にある茶摘み唄。
「遠州浜松」が「遠州森町」「宇治」などと各地の地名に入れ替わります。
しかし、白隠さんは浜松茶を自慢しているわけでも、遠州のお国自慢をしているわけでもありません。
本分の家郷を自慢しているのです。人間が帰るべき真の故郷。
そこに娘もやりたいし、そこに婿さんも欲しい。そして本分の茶を摘んで欲しい。
究極の安住どころ、本分の家郷を一円相で現しています。
禅宗では円相をよく書きます。
真如・仏性・心など絶対の真理をこの〇(マル)で現します。

では、究極の安住どころ、本分の家郷とは。
私達僧侶は、お位牌を書くときに戒名の上に「帰元」や「帰源」と書きます。文字通り「元に帰る」「源に帰る」という意味です。
江戸期の高僧 沢庵禅師も
〝 たらちねに よばれて仮の客に来て 心残さず 帰るふるさと 〟と詠われました。
両親に呼ばれてこの世に仮の客としてやってきた。死を迎えるとは元の故郷に帰ることである。

死生観を明らかにすることは、死を見つめて積極的に「生の意味」を見いだすことにほかなりません。
人は死に直面してはじめて、「いのちとは何か」を真剣に考えますが、直面してからでは間に合いません。

仏教の祖師方は、「生とは何か、死とは何か」。

人間にとって最も根源的な問いを明らかにされて生き抜かれました。
生死の問題を明らかにすることこそが、与えられた「いのち」を精一杯生きることにつながるのではないでしょうか。

最後に、元円覚寺の朝比奈宗源老師のお言葉をご紹介します。
〝私達は仏心という広い心の海に浮かぶ泡の如き存在である。生まれたからといって仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず。私どもはみな仏心の一滴である。一滴の水を離れて大海はなく、幻の如きはかない命がそのまま永劫不滅の仏心の大生命である。人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る。生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れていない〟
『直指人心、見性成仏』
晩年における白隠達磨の最高傑作です!!
賛の「直指人心・見性成仏」は、禅宗の宗旨を端的に表したもので、達磨図の賛として最も多く用いられているものです。
人間の心の根源そのものを(言葉や文字によるのではなく)ずばり指し示し、自己の心が仏性に他ならないと自覚し仏になれ、という意。
白隠禅師坐禅和讃の最後「この身すなわち仏なり」の自覚とそれに伴う修行が大切だということです。
ちなみに、臨済宗方広寺派の「宗旨」には、
〝 本派は、如来の正法眼蔵を拈提し、参禅弁道により己事究明、不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏の端的を実践体解し、深く人生の真義に徹し、人格を完成し、以って自利利他、菩薩の行願を果たすことを宗旨とする 〟
とあります。
『上求菩提・下化衆生』
「しげ」は志下、「鹿浜」は獅子浜、ともに伊豆半島腰部西岸の地名で、鷲頭山はこのあたりにある。
賛は江戸時代に歌われていた作業歌。
山頂から中腹には鷲の姿が描き込まれている。
仏教で「山」と「鷲」といえば、釈尊が説法された霊鷲山(りょうじゅせん)である。
つまり、仏教の教え・真理を象徴したもの。
そして、下半分に描かれているのは、二艘の釣り船で釣りをしている人々。
これは、人間が生存してゆくために必要な経済活動・世俗世界の道理を描いたもの。
言いかえれば、上半分は「上求菩提」を、下半分は「下化衆生」をあらわしたもの。
当初、私は「上求菩提」と「下化衆生」を別々のモノだと考えていました。
しかし、決してそんなことはなく、両者は表裏一体のモノなんですね。
修行道場に在錫している雲水(修行僧)時代は、とかく自分自身の修行のみに一所懸命になります。
一般の方達に仏教の教えを説くような時間は持ち合わせていませんし、道場にいる間は書物を紐解くような時間もありませんので、仏教の教えを説くような言葉も持ち合わせていません。
自分自身の「体験」が「言葉」として醸成されるためには、数年間・数ケ月という「時間」が必要になるからです。
そして、道場から出てきてから自分自身の「体験」を分かり易く言語化するために、「言葉」として醸成される「時間」を何もせずに待つのは退屈なモノですから、全く畑違いの分野も含めて書物を紐解いてきたのが、ここ数年の私です。
しかし、「上求菩提」と「下化衆生」は表裏一体のモノなんだと、今改めて思います。
なぜなら、何も語らずとも雲水(修行僧)の後ろ姿を見れば、自分自身を顧みる機会を貰えます。何も語らずとも法を説くことは可能ですし、また、道場を出た後も法を説いていれば良いというわけではなく、雲水の後ろ姿から内面を顧みる機会を与えられるように、日々精進していく必要があります。

中国唐代の禅僧に、潙山霊祐という方がいて『潙山警策』という書を著して、自ら僧のあり方を正そうとされました。
終わりの文章に
〝 伏して望むらくは、決烈の志を興し、特達の懐いを開き、挙措他の上流を看てほしいままに庸鄙に随うこと莫れ 〟
〝 熟々斯の文を覧て時々に警策せよ。強めて主宰と作って人情にしたがうこと莫れ。・・・声和すれば響き順い、形直ければ影端し 〟
とあります。
意味は
「私が望むのは、烈しい志をおこし、なみなみならぬ思いをあらわし、日常の振る舞いは自分よりも優れた人を見習い、いい加減な凡俗の人に随ってはならない」
「よくよくこの文を見て常に自分に鞭うって激励せよ。つとめて自分の主人公となるべきで世間の情にしたがってはならない・・・声が和らげば響きも和らぎ、体が真っ直ぐなら影も真っ直ぐである」
という意味です。
姿形を正してゆけば、必ず心も真っ直ぐに正される。
道場を出てからも「上求菩提」・「下化衆生」。
さぁ、今日も丹田を立てて背筋を伸ばしていきましょう!!
『お福お灸』
この絵の賛は右から読みます。
〝 痔有るを以て たつた一と火〟
痔は「持病」。
お福さんが根本の病を治そうとして、お灸をしている。
賛は江戸時代、寺子屋の教科書に用いられた『実語教』の冒頭にある「人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす」をもじったもの。
「一と火」を江戸弁で読むと「一(し)と火(し)」になる。
賛の〝 ぢあるをもって、たったしとし 〟
実語教の〝 ちあるをもって、たっとしとす 〟
語呂合わせです。
「寺」という漢字には、もともとその場所に留まる。その場所を守護する。という意味があるそうですね。
なので「寺」という漢字に「人」がつくと「侍」(さむらい)になり、「寺」に「行」ずるという字がつくと「待つ」になる。そして、「寺」に「やまいだれ」がつくと「痔」になるわけです。その場所に留まるからですね。
上記にて、痔は「持病」だそうですが、では「持病」とは。
日本国語大辞典には、【 ひどく悪くはならないが、常時、または周期的に苦しみ悩む病気。】
広辞苑には、【 全治しにくくて、常に、またはしばしば、悩み苦しむ病気。身についてなかなか抜けない悪いくせ。】
とあります。
では、この絵が示す「持病」とは何でしょうか。
お灸をすえられている男の着物には「金」印があります。「金金」(金々)。
この「金々」は辞書等によると明和から安永にかけて、江戸吉原を中心に流行った流行語で、「身なりを飾りたて得意になるさま」という意味があるそうです。
つまり、俗世の論理そのもの、物質的欲望の追求を象徴するのが「金々」で、お多福はそんな金々野郎の根本病を治療しようとして、お灸をすえているのでしょう。
今も昔も。白隠禅師の有名な風刺画のひとつです。
『鍾馗(しょうき)』
鍾馗(しょうき)とは
中国の唐代に実在した人物と伝わっています。
科挙試験に応募したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。しかし、その霊魂が玄宗皇帝の夢に現れて、悪鬼を祓い、これによって玄宗の病気が治ったといいます。玄宗はこれに感じて呉道玄にその姿を描かせた。
由来、鍾馗の絵は邪気を祓う効力があるとして、世間に広まった。
この賛は左から読みます。
〝 或ひは玉殿廊架のした (みはしの本までも) つるぎをひそめて忍び忍びに 〟
この賛は、鍾馗を素材とした謡曲「鍾馗」の末尾の一段です。( )内は書き落としてしまったもの。
ここでは、怨念と執心を捨てた鍾馗が、菩提心を発起して国土を守護してゆく誓願を持った存在として描かれている。
白隠が描く鍾馗像は、単なる俗信の邪気祓いの神ではなく、菩提心(=慈悲=おもいやり)の象徴です。
白隠禅画において、鍾馗は何度も出てきますので、ご紹介しました。

参考までに、謡曲「鍾馗」の末尾を記載します。
有り難の御事や、その君道を守らんの、その誓願の御誓、如何なる謂れなるらん。鍾馗及第のみぎんにて、われと亡ぜし悪心を、翻す一念、発起菩提心なるべし。げに真ある誓いとて、国土をしづめ分きて、げに禁裏雲居の楼閣の、ここやかしこに遍満し、或いは玉殿廊架の下、御階の下までも、下までも、剣をひそめて、忍び忍びに、求むれば案のごとく、鬼神は通力うせ、現われいづれば忽ちに、づだづだに切り放して、まのあたりなる、その勢いただこの剣の威光となって、天に輝き地に遍く、治まる国土となること、治まる国土となることも、げに有り難き誓いかな、げに有り難き誓いかな。
『鍾馗鬼味噌』
迫力あふれる禅画です。
この禅画は「鍾馗鬼味噌」といい、前節でご紹介した「鍾馗」がまたもや登場します。
白隠の鍾馗は「菩提心の象徴」です。
その鍾馗がすりこぎで4匹の鬼をすりつぶしており、こどもがすり鉢を押さえて、それを手伝っています。
右上の賛は「鬼みそばかりは むごとふて すりにくいものじや」
対して左下の賛は「鍾馗大臣のむすこ也 ととさ、鬼みそを、ちとなめて見度ひ」
和訳すると、右上の「鬼味噌ばっかりは、どうもむごたらしいことをせねばならんので、すりにくいものじゃ」と、これは鍾馗のせりふです。鬼味噌は味噌に唐辛子などを加えた辛い味噌。白隠の擂鉢図は白隠味噌店のコマーシャル・メッセージです。
こどものところには「この小僧は鍾馗大臣の息子だぞ」とあり、さらに小僧に「父ちゃん、鬼味噌をちっとなめてみたいよ」と言わせています。
白隠禅画におけるこどもは衆生。つまり、われわれのことです。われら衆生に、ちと辛口ではあるが、白隠商店ご自慢の「鬼味噌」をちょっとなめてみよ、と白隠さんが勧めています。
鬼はいろいろと解釈できますね。
例えば、今年の「こども坐禅会」でお話した「貪・瞋・痴」だって、私たちにとっての鬼です。
これらをすりつぶして(滅して)、本分の自己に気づくことが白隠商店自慢の「味噌」ですよ、とおっしゃっています。
『雷神』
今回の禅画も漫画チックで面白いですよね~。
雷神が書状を書いて、それを庄屋に頼んで風の三郎の所に届けさせるところ。
風の三郎は、風の神様。前に平伏しているのは庄屋。庄屋は百姓の代表です。
庄屋が雷神さまのところへやってきたのは何故でしょう?
百姓にとって命より大事な恵みの雨を降らしてくださいというお願いです。
「そう頼まれても、ワシひとりだけでは雨を降らすことはできん。どれ、風神や雲たちに一筆書くので、ご苦労だがそれを届けてくれ。そうしたら、ワシら全員一丸となって、雨を降らしてやろう。」といったところでしょうか。
仏教の教えのことを法雨や慈雨といって雨に譬えます。対して百姓はもともと一切の人々(衆生)のことを意味した言葉です。
つまり、この禅画は「お米を育てるために恵みの雨を降らしてください」という絵であると同時に「衆生(一切の人々)のために慈悲の教え(仏教の教え)を垂れてほしい」ということを描いたものです。
余談になりますが、修行道場ではよく「托鉢」といってカンバン袋(各道場名が大書された袋)を首から提げて、街中を野菜やお米等を喜捨して頂くために歩き回ります。その際、「ホー」と大声を出しながら3人or4人1組で歩くのですが、当初、何故「ホー、ホー」と叫ぶのか意味がわからなかったのですが、修行道場の一番上の先輩から「ホー」というのは「法(ほう)」・「法雨(ほうう)」の意味で、「一番短いお経なんだ。われわれは街中の人にお経の雨を、法(仏教の教え)の雨を降らせているんだ。そのつもりで無心に、自分自身がお経(「ホー」)と一体になったつもりで唱えるんだ」と教わりました。そう言われてもよく分からず、当時は、がむしゃらに大声をだしていましたが、振り返るとこれもまた「上求菩提」であり「下化衆生」であったんだと実感します。
『すたすた坊主』
布袋和尚の右側に書かれている賛は「布袋どらをぶちすたすた坊主になる所」
布袋和尚の左側に書かれている長文の賛は。
〝 来た来た、又きたきた、いつも参らぬ、さひさひ参らぬ、すたすた坊主、夕べも三百はりこんだ、それからはだかの代参り、旦那の御祈祷、それ御きとう、ねぎの御きとう、猶御きとう、一銭文御きとう、なあ御きとう、かみさま御きとう、よひ御きとう 〟
すたすた坊主は願人坊主。
商家などに立ち寄って、面白おかしく左のような口上を述べて金銭を乞うた。
しかし、布袋和尚は単なる乞食坊主ではなく彌勒菩薩のご分身である。
その布袋が「どらをぶって」すたすた坊主に成り果てたところ。
「どらをぶつ」は、道楽にふけって放蕩し、お金を浪費すること。
法を説いて人々に福を分けるのが、わが白隠布袋の道楽であるが、その道楽が過ぎて、今やすたすた坊主になってまで、人々の福を願って私が代参いたしましょう、というところ。
『布袋担袋』
賛は右から〝 やれやれ おもたひぞ おもたひぞ 〟
布袋和尚は実在した人物。
太った体で衣をだらしなく羽織り、大きな太鼓腹を出し、杖をつき大きな布袋を担いで市中に出て、変わったことを言ったりする。いつも大きな袋を担いでいたことから「布袋」というニックネームで呼ばれるようになったそうです。
寺にはおらず街中に出かけては誰かれ構わずモノを乞うて、どんなモノでも袋の中に入れたそうな。
単なる頭のおかしい乞食坊主かというと、そうでもなく、ときには吉凶・晴雨などを予言し、それがよく当たったそうです。
死んだ後、「自分は彌勒菩薩であり、この乞食和尚に化身して娑婆に降り、折々に教えを示したのだが、誰も分からなかった」という詩が残されていた。その後、崇拝され祀られるようになりました。
高みから説法するのではなく、人々の生活している場所へ出掛けていって、教えを示すのが白隠禅師の十字街頭の禅であり、布袋さんはまさにそれを示しています。
袋が重そうなのは、貰い物が多かったからではありません。
「無一物中無尽蔵」
無から一切が生成する。
この無量寿は無限の重量がある。おもたひ、おもたひ。
『布袋解開』
布袋が袋を大きく開け広げているところ。
布袋さんの表情が実に豊かです。
布袋さんは袋の中から何を見せようとしているのか、何を出そうとしているのか。
『無一物中無尽蔵』(むいちもつちゅうむじんぞう)
空無であるからこそ、そこから全てが生まれ出てくる。
それが永遠の生命(寿=いのちながし)の本体に他ならないのです。

この額を実物大でご覧になりたい方は、奥山 方広寺の宝物展にいらしてください。白隠さんの真筆かどうかは定かではありませんが、常設展示でご覧頂けます。
但し、現在「直虎」並びに歴代管長の墨跡展のため、外されています。
『擂鉢みそさざい図』
この禅画は「擂り鉢」「すりこぎ棒」「ミソサザイ」が描かれています。
賛は、右から左へ。
〝 鶯に形(な)りが似たとて みそさざひ 〟
和訳すると。
〝 ウグイスに姿形は似ているけれども、所詮はミソサザイだ 〟
という意味になります。
ミソサザイはウグイスに似た小柄な鳥。
体に似合わぬ大きな声でやかましく囀る。
「ウグイスではございません。ミソサザイのような私ではありますが」と謙遜しながらも、白隠ミソサザイが「いらっしゃい、いらっしゃい、当店には極上の味噌(白隠禅)がございます。どうぞお試し下さい」と、大声で「手前味噌」を宣伝しているところです。
前出の『鍾馗鬼味噌』でも、白隠さんは自分の教えを味噌に喩えて宣伝していましたが、今回もミソ(味噌)サザイという鳥を使って、謙遜しながらも極上ですよと宣伝されています。
ここまで宣伝されると、どんな味か嘗めてみたくなりますね。
『塗毒鼓』
『 塗毒鼓 』(ずどっこ)
毒を塗った太鼓。
この太鼓の音を聞いた者は皆死んでしまう。
そのように、仏の教えも聞けばたちまち一身の内の「貪・瞋・痴」は全て無くなってしまう。
白隠墨跡中の逸品です。
『布袋童子渡河』
杖の左側の賛。右から読みます。
〝 三つ子に習ふて 浅ひ瀬をわたる所 〟
時には、未熟な者に教えられることもあるという意味。
杖の右側の賛。左から読みます。
〝 此小僧は 布袋の手のあひまち也  其儘な貌也。隠せば弥露る 〟
(和訳)
〝 この小僧は布袋さんがしくじって(手の過ち)出来た子だ。そんなことは無いといっても貌(かお)がそっくりじゃないか。隠せばいよいよ露われる、というではないか。 〟
肩車されているこどもが、布袋にそっくりな貌をしているのは、白隠布袋の教えに教化されているから。
教えを説く側・説かれる側ともに一心同体。
高尚な教えを高みから説いているわけではありませんよとでも云っているのかもしれませんね。
『百寿』
今回の禅画も圧巻です。
縁起が良いこと、この上無し!!
「寿」の字をさまざまな書体で書いた『百寿図』です。
福禄寿老人の右側の賛を右から読むと。
〝 貴ぶ可し、百寿の篆文字 直に是れ妙法蓮華台 一字々、霊験無比の大陀羅尼 一画々、諸仏無上の金色身〟
福禄寿老人の左側の賛を右から読むと。
〝 若し人、尊信瞻礼せば、千災を滅し万徳を生じ、乍ち無上菩提の道を成ぜん 明和第四丁亥端午の日、福禄寿道人、沙羅樹下老漢の命に依って謹んで書し了る 〟
最後、福禄寿道人がにこやかに笑ってわれわれに話しかけています。
〝 わたくし寿老人が、沙羅樹下老漢(白隠禅師)の命令によって、謹んでこの『百寿』を書き終えたところです 〟
『百寿図』の起源は中国。
ある一家族が皆百歳を越えるまで生きたというので、それを称えてできたもの。
誰が考え出したのかは知りませんが、これだけの書体をよく考えだしたものだなぁ~と感心すると同時に、今なおこれだけの書体を使いこなせる人っていらっしゃるのかなぁと疑問に思いました。
白隠禅師のあらゆるものに対する造詣の深さに畏敬の念を感じます。
さすがは「神機独妙禅師」(1つ目の諡。後桜町天皇より)ですね。
『隻手音声』
白隠禅師は『隻手音声』という公案(禅問答)を考案しました。
私が修行道場に入門して、まず初めに与えられた公案(禅問答)がこの『隻手音声』です。
〝 両掌相い打てば声あり 隻手なんの音声かある 〟
〝 両手を合わせて叩くと音がする。では、片手ではどのような音がするか、それを聞き届けよ 〟
信州伊那のお婆さんは隻手の公案に「白隠の片手の声を聞くよりも、両手叩いて商ひをせよ」と答えた。
白隠はこれに対して「商ひが両手叩いて出来るなら、隻手の声は聞くに及ばず」と言ったという。
上記、軸の賛は、明治42年、禅僧の中原南天棒が加筆したもの。
「此の隻手は白隠の真筆に紛れ無きことを証明す 明治酉仲夏望前七日 古稀又加一 南天棒」
『鼠大黒』
軸の漢文は左から。
〝 鼡師一日槌子を拈起して、衆に示して曰く、猫頭来也(みょうとうらいや)猫頭打(みょうとうだ)〟
鼡師は祖師のこと。
「猫頭来」は普化禅師の「明頭来也 明頭打」をもじったもの。
のどかな日常の「こもりうた」でご紹介した『鼠大黒』の禅画です。
『暫時不在如同死人』
〝 暫時も在らざれば 死人に如同す 〟
【意味】
〝 一瞬たりとも、わが主人公たる本心がお留守になるならば、死人も同じことだ 〟
『お婆々どの粉引き歌』の一節に。
「五尺あまりの体は持てど、主心なければ小童じゃ、武芸武術も第二のさたよ、とかく主心がおもじゃもの、主心なければ空き家も同じ、きつねたぬきも入れ代わる」とあります。
いくら強そうな武家さんでも主心が無ければ性根はすわらぬぞ、と。

最近、山岡鉄舟さんの自伝小説を読んでいて、ほとほと感心しきりです。
鉄舟さんほど、どっかりと肚の坐った方も滅多にいないでしょう。
肚の中心にしっかりと主心が坐っています。
生涯通して「仁・義・礼・智・信」を貫き通されました。
様々な臨済宗の老師の下で参禅されていて、滴水宜牧老大師もその内の一人です。
この滴水宜牧老大師は、明治の初めに京都嵐山天龍寺の管長をされていた方です。
この方も臨済録の提唱中に、しきりと論語の話をされ、「たとえ、禅を会して道を解するといえども、論語一部も読まなければ、我見妄想が増長するのみで役に立たぬ」と論語を大切にされていました。
滴水老師と鉄舟居士の問答は迫力がありますが、昔の方々の博識ぶりには舌を巻きます。
現方広寺の大井際断管長猊下は、満百一歳。
管長猊下の衰えない勉強量にも頭が下がります。
ましていわんや我々は生涯修行です。