歴 史(由 緒)

【山号寺号】 金光山 正光寺

【所属宗派】 臨済宗(禅宗)大本山奥山方広寺

【 本尊 】 聖観世音菩薩

【 合祀仏 】 薬師如来 弥陀三尊仏 他

【 鎮守 】 北星妙見菩薩
当寺は、往古より妙見菩薩の霊場として知られ、創立年代は不明であるが、17世紀の初め慶長年間までは、真言宗に所属し、美薗並びに羽鳥郷の内八ヶ寺の本寺にして、当時の境内面積は52万坪(約171万㎡)あり、境内中央より何れへも八丁四方を所有していたと云う。

 由緒  
室町時代は今川家累代の祈祷所であり、今川氏真公直筆の花押入り古文書も寺宝として蔵されている。
慶長17年8月、雪斉惠宗禅師開山となり、臨済宗方広寺派に属し爾来法燈世系連綿として今日に及ぶ。明治初年県下寺社合併の令達後、村内自光院(薬師堂)及び下石原(豊町下)海福寺の2ヶ寺が当寺に合併され、各本尊仏も合祀された。
慶長元年8月、大獣院殿(徳川家光公)御朱印、北条安房守殿(新蔵家)知行所内より正光寺領を六石壱斗、薬師堂領を弐石下賜される。その他伊那備前守除地四石一斗、施餓鬼料を弐石、了仙庵領を弐石賜る。徳川家光公より家茂公に至るまで九通りの旨令書を存していたが、慶応三年九月、西京弁事御役所へ返納される。


【 正光寺歴代(臨済宗)住職 】

開山 雪斉恵宗禅師 元和9年(1623年)没
2世 行室周順禅師 寛永19年(1642年)没
3世 竜 山 泉禅師 寛文4年(1664年)没 奥山方広寺再度輪番勤務
4世 徳翁 功禅師 天和3年(1683年)没
5世 密道覚益禅師 享和元年(1716年)没
6世 生天恵心禅師 享保13年(1728年)没 元禄14年(1701年)現在の本堂建立 同年12月8日、本尊聖観音菩薩像彩色す(台座裏記)享保12年12月、為両親菩提三界萬霊地蔵尊像及び阿弥陀如来像建立
7世 一空玄如禅師 明和3年(1766年)没 奥山方広寺3度輪番勤務 明和3年春74才の時、現開山塔再建 1749年眼納一次一石一条妙法典塔台座刻文を記す。
8世 環渓祖提禅師 寛政6年(1794年)没 臨済宗中興の祖、白隠禅師の法嗣である。安永6年(1777年)大般若経600巻を新調(現存)。
9世 愚翁 丈禅師 文政3年(1820年)没 享和元年(1801年)現妙見菩薩像を当山の護法善神として奉安される。時に60歳(台座記)
10世 懐環 球禅師 文化7年(1810年)没 寛政2年(1790年)大般若経外筆を補う。
11世 虎崖祖裕禅師 天保2年(1831年)没 天保2年頃、山門の新築される。6世生天和尚の高弟。海衆塔を寛政4年春(1792年)造立して遷化す。寛延2年(1749年)7世一空和尚の眼納一字一石一条妙法典宝塔建立に尽粋される。
12世 龍 道 貫禅師 明治16年(1883年)没 奥山方広寺4度輪番勤務 紫衣を許された逸足 明治39年1月(1906年)凌雲碑建立される。
13世 廉道 徳禅師 明治34年(1901年)没 明治36年寺子屋時代の師への報恩のため顕彰碑を筆子一同により建立される。
14世 新野宣保禅師 明治36年7月26日(1903年)より大正8年(1919年)まで在職、後転住
15世 阿部龍光禅師 在職5ヶ月後転住。大正12年7月7日、現在の施餓鬼棚新調49院配誌
16世 瑞鶴観哉禅師 昭和25年(1950年)没 静岡市葵区横内町来迎院出身 清見寺真浄老師の居士後、徒弟となり妙心寺派より入籍転派して紫山老師の弟子となり印可を受け当寺再興のため管長特命住職として昭和7年4月任住職。本堂補修工事、庫裏20坪新築。儒学の他弓道、鉄筆、書画等の行跡を見る。
17世 霊峰恵澄禅師 昭和63年(1988年)没 奥山方広寺再度輪番勤務 昭和30年(1955年)宮崎大光寺より転入。昭和31年住職拝命 本山方広寺再住として管長足利紫山老師に仕える。


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駿河の国にすぎたるものが二つあり、富士のお山に、原の白隠
といわれたこの名僧は、十四歳でふる里駿河の原の松隠寺で得度、諸方歴参ののち、信濃飯山の正受老人の法をつぎ、やがて京都妙心寺第一座となり晩年は三島の竜沢寺を開いている。正光寺の山号額を白隠が書いたのは、同寺八世環渓和尚が白隠の弟子であったつながりによるもののようである。環渓和尚は人々を寺に集め、碧厳録を講じたというから学才のほどがしのばれる。同和尚が示寂したのが寛政六年六月十三日、七十五歳であった。正光寺の現在は十八世松尾正澄である

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『寒雲雪を籠めて夕陽重し』(かんうんゆきをこめてせきようおもし

「寒雲雪を籠めて夕陽重く、山月梅を照して夜色清し」の前半部分。
寒雲無心、山月無意、只籠め只照す甚深の妙旨。現成一段眞人の心地を象徴する妙景。