正光寺で行えるご祈祷内容
- 車のご祈祷
交通安全・無事故無違反を妙見菩薩が願います。 - 諸願祈祷
個々人の諸々のお願い事。
良縁成就・身体健康・家内安全・厄難消除・當病平癒・学業成就等をお祈り致します。 - 動物供養
大切なペットが亡くなった後も、ペットとの思い出や繋がりを大切にご供養致します。 - 地鎮祭
- お宮参り
生まれたばかりの赤ちゃんを観音菩薩様(御本尊様)と妙見菩薩様(鎮守様)に報告すると共に、その成長を見守っていただきたいとお願いする儀式です。 - 行事始めのご祈祷(プール開き等々)
安全祈願・無事故・円満成就を祈ります。願い・祈りの実践
仏教は坐禅だけではなく、「祈り」の実践でもあります。
自力・他力という言葉がありますが、自力とは自分の力で修行をしていくこと。
他力とは観音様や神様・仏様といった他者の力におすがりして、お任せすること。
坐禅をすることは自力であり、祈りは他力の実践です。しかし、違うようでいて両者の行き着くところは一緒です。それは、両者とも己・自我を捨てるための修行であるということです。
自分のわがままな思いを離れて、すべてを委ねる。天の心のままに全てを任す。
坐禅をして自我を捨てると、人の為に役に立てて嬉しいといった慈悲の心があらわれてきます。また、自分のことを忘れて、なにか人の為に祈るということは『慈悲の心』そのものです。
もうおわかりでしょう?
そうです。祈りとは「人のため」にするから尊いのです。
祈れば必ず願いが叶うわけではありません。お賽銭をあげれば必ず願いが叶うと考えると、それはもう神仏との『取引』です。一般社会の経済原理と同じですね。単なる金銭取引・物々交換になってしまいます。
自分の私利私欲のために祈って、願いが叶えばお賽銭をはずみ、願いが叶わなければ
不満顔で文句をいう・・・仏様も呆れかえるのではないでしょうか。そうは言っても、自分のために祈ることもあるでしょうし、そんなときはどうしても私欲が働いてしまいます。ああしてクダサイ。こうしてクダサイと祈るのではなく、どうか道をお示し下さいと無心に祈ることによって、人間の素直な心がよみがえってくる。それこそが、み仏のはからいではないでしょうか。
仏式の正式なお参り作法「礼拝」(三拝等)は、地面に身を投げ出して聖なるものにひれ伏します。あの姿がまさに『祈り』というものの本質を言い表している気がいたします。
『念じてください』坂村真民 先生
念じてください
日に
月に
星に
手を合わせて
念じてください
木に
石に
地球に
額をつけて
念じてください
病いに苦しむ人たちのために
貧しさに泣く人たちのために
痩せ細りゆく難民達のために
念じてください
少しでもお役に立つことのできる
人間になることを
そして生きてきてよかったと
自分に言える一生であるように
二度とない人生だから
かけがえのないこの身だから