飛脚の話

こんな話があります。

昔、飛脚という職業がありました。
いまでいう郵便配達で、バイクではなく自分の足で手紙を運んでいた人達です。

ある飛脚が、もう少し早く手紙を運べないものかと考えました。たとえば、大阪から名古屋まで、せめて今より半日早く運ぶ方法はないものか。そう思い、できるだけ早く駆けるようにしたのですが、なかなか一定の日時を短縮することができない。そこである有名な学者のもとへ、どうすればいいか相談に行ったのです。

学者はしばらく考えていましたが、やがてポンと膝をうちました。

「わかった、わかったぞ。お前の遅いわけがわかったぞ。お前、走っているうちに道端の赤い石を踏んでいるのではないか。だから遅いのだ。」

赤い石を踏むから遅いとは妙なことを聞くと思いましたが、なにしろ偉い学者の言うことです。その次からは、行きも帰りも赤い石を踏まないように注意しながら走りました。そうすると不思議なことに、これまでどうしても短縮することができなかったのに、半日以上も早く着くことができた。

「先生、おかげさまで早く着くことができました。・・・でも、赤い石などどこにもありませんでしたよ。」

飛脚はお礼かたがた学者のところへ報告に行きました。すると学者は大笑いしました。

「あの赤い石のことはわしの作り話だ。」
「作り話?」
怪訝な顔をする飛脚に学者は説明しました。

「これまでお前は一生懸命に走っているつもりでも、知らず知らずのうちに周囲の景色に気をとられていた。足下だけに注意を集中すればもっと早くなるはずだ。といって、はっきりとそう言えばまたそのことにとらわれることになる。そこで、赤い石を踏むなといったのだ。」

坐禅の坐相は、なにかあってもすぐには立ち上がることができません。
コロコロころころあっちやこっちに動いていってしまうのが私たちの心です。
あの姿こそが、脚下を照顧するための最適な姿なんでしょうね。